国宝大好き!
わたしは国宝が大好きです。国宝と聞くとテンションが上がります。
先週広告を見かけて買いました。週刊ニッポンの国宝100。今後一年をかけて、毎回2点、合計100点の国宝を紹介します。とても、楽しみです。
創刊号では、興福寺の「阿修羅像」と建仁寺の「風神雷神図屏風」を紹介しています。
阿修羅像では、「手」についての長年の謎が、最新の研究で解決した?と書かれており、とても興味深い内容でした。
みなさんもぜひ読んでみてください。
週刊 ニッポンの国宝100 1 阿修羅/風神雷神図屏風(アシュラフウジンライジンズビョウブ)[分冊百科] (2017年9/19号)
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2017/09/05
- メディア: 雑誌
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お伊勢参り
お伊勢参りの2日目は台風の接近で大雨になってしまいました。
内宮(ないくう)
ないぐうと濁らないのが正解です。
正式には皇大神宮(こうたいじんぐう)と言い、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしています。
伊勢神宮の正式名は「神宮」です。今では熱田神宮、明治神宮など多く神宮がありますが、江戸時代以前は神宮=伊勢神宮でした。
▲正宮
▲大雨の様子
写真ではなかなか伝わらないと思いますが、豪雨でした。宇治橋を渡るまでは普通の雨でしたが、参道を歩いている途中で、土砂降りとなり、全身ずぶ濡れになりながら参拝しました。
残念ながら、正宮以外はお参りできませんでした…
▲内宮の御朱印 さすが神宮です。シンプル過ぎて緊張します。
参拝後の楽しみだった、おはらい町とおかげ横丁の食べ歩きは、傘が壊れてしまい断念しました(涙)
お伊勢参り
夏休みを利用してお伊勢参りに行って来ました。
1日目は外宮(げくう)と月読宮(つきよみのみや)にお参りしました。
豊受大神宮(外宮)(とようけだいじんぐう げくう)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)のお食事を司る神、豊受大神(とようけおおみかみ)がおまつりされています。内宮(ないくう)創建から500年後に、丹波国から山田原(やまだのはら)に引っ越したそうです。今から約1500年前のことです。
伊勢市の市街地にあります。広い駐車場があります。JR伊勢市駅から徒歩5分、近鉄宇治山田駅から10分のところです。
▲表参道火除橋
▲一の鳥居
▲古殿地(こでんち)遷宮前の社殿が建っていた場所です。
▲正宮
多賀宮(たかのみや)
▲出典「伊勢神宮HP」
多賀宮は外宮に所属する別宮で、境内にあります。ご祭神は、豊受大御神の荒御魂(あらみたま)。
神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂(にぎみたま)」と言います。それに対して、荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを、「荒御魂」とたたえます。
外宮内の別宮は他にも、土宮(つちのみや)と風宮(かぜのみや)があります。
▲風宮
▲土宮 出典「伊勢神宮HP」
月読宮へ行く前に外宮の隣にある「中むら」さんで伊勢うどんを食べました。今回初めて冷やし伊勢うどんを食べました。冷やすと麺がもちもちしてオススメです。
月読宮(つきよみのみや)
外宮と内宮の中間地点にあります。
今回初めてお参りしましたが、天気が良かったせいもあり、静かでとても良い場所でした。パワーが高いと思います。
ご祭神は月読尊(つきよみのみこと/つくよみのみこと)です。天照大御神の弟神で「月を読む」と記すとおり、月の満ち欠けを教え暦を司る神です。もうひとりの弟神、素盞嗚尊(すさのおのみこと)はヤマタノオロチ退治でとても有名ですが、月読尊は古事記、日本書紀にあまり登場せず活躍に乏しい神です。
▲出典 伊勢神宮HP
社殿が4つ並んでいます。右から②月読荒御魂宮、①月読宮、③伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、④伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の四別宮が並んで鎮座し、①から④の順にお参りするのが一般的です。③は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)④は伊弉冉尊(いざなみのみこと)をお祀りしています。
月読尊は、黄泉の国から脱出した伊弉諾尊が禊(みそぎ)をした際、右目を洗って生まれた神です。また、伊弉諾尊と伊弉冉尊は夫婦なので、親子が一緒の場所にお祀りされています。
▲月読宮の御朱印
この日はこれでお参りは終了です。早めに鳥羽のホテルにチェックインして、ゆっくり温泉につかりました。
東大寺法華堂の巨大仏像群は圧倒的迫力!ぜひ観ていただきたい!
私がお寺で仏像を鑑賞するとき、お目当の仏像に会い行く場合と、お堂全体の仏像群を堪能する場合の2パターンがあります。今回は後者の大好きなお堂について紹介します。
東大寺法華堂(三月堂)
東大寺と言えば、阿形・吽形の南大門、奈良の大仏様の大仏殿、お水取りで有名な二月堂を参拝される人が多いと思います。もちろん、私も大好きな場所ですが、みなさんにぜひお勧めしたいお堂があります。それは、法華堂と戒壇堂です。今回紹介するのは二月堂の隣にある法華堂です。
戒壇堂の魅力はこちらでどうぞ⬇︎
私の大好仏vol.2 東大寺 国宝四天王像 - 神仏欲な日々
法華堂は東大寺最古の国宝建築です。奈良時代に建てられ、鎌倉時代に増築されました。
安置されている10体の仏像がすべて天平時代(奈良時代)の国宝仏で、秘仏の執金剛神像(しゅこんごうじんぞう)以外はいつでも拝観できます。
執金剛神以外は3〜4mの巨大仏なので、大変な迫力です。更に、四天王や金剛力士は憤怒相と言って険しい顔をしているので、恐ろしく感じる人もいるかもしれません。そこが法華堂の最大の魅力です。
不空羂索観音立像(ふくうけんさくかんのんりゅうぞう)
奈良時代に作られた乾漆像の傑作です。高さが3.6mです。三つ目に八本の腕を持つ三目八臂(さんもくはっぴ)の仏像です。
「不空」とは、必ず願いが叶い空しい思いをさせないという意味で、「羂索」は古代インドで密猟や戦闘に使われた捕縛用の縄のことです。あらゆる人々を逃がすことなく救済するという意味があります。上から三本目の左手に持っています。
▲羂索 綺麗な指ですね。
この仏像の見どころは、合掌した手と宝冠です。合掌した両手の間に水晶の宝珠があります。すき間を覗くとわずかに輝く光が見えます。宝冠にはたくさんの宝石が飾られ、製作年代を考えればとても豪華で貴重なものです。しかし、肉眼では遠くて鑑賞不能です。御朱印所に写真と解説がありますので、そちらで確認しましょう。
▲合掌の水晶
▲宝冠 水晶、翡翠、真珠など約2万個の宝石が飾られています。
梵天(ぼんてん)帝釈天(たいしゃくてん)
▲梵天
▲帝釈天
二体ともお堂の中で最も大きい4m超の巨像です。不空羂索観音の脇侍として、向かって右に梵天、左に帝釈天が配置されています。本尊より大きな脇侍はとても珍しいです。
梵天は衣の下に鎧を着け、左手に巻物を持っています。帝釈天は衣しか着ていません。しかし、通例では戦いの神である帝釈天か鎧を着ています。長い歴史の中で間違って伝えられたというのが定説です。このようなことは他のお寺でもよくあることです(笑)
二体とも細く切れ長の目で静かな表情です。しかし、巨大で重厚な幅広の体躯なので、立っているだけで迫力があります。
金剛力士立像
▲阿形
通常、金剛力士像は上半身裸で仁王門に安置されていますが、法華堂の力士像は鎧を着てお堂にいます。
阿形は「あっ」と開いた口と大きく見開いた目とをした憤怒相です。まさに「怒髪天を衝く」表情です。大陸風の鎧もかっこいいと思います。像高は3.2mです。
▲吽形
吽形は「んっ」と口をつぐんだ険しい表情です。頬骨が張って力強い意思を感じます。右手に金剛杵を握っています。
四天王立像
▲持国天(じこくてん)
像高3.1m。須弥壇の右手手前にいます。右足を上げ左手を腰に当ててポーズを決めています。目を見開き口を開ける憤怒相です。
▲増長天(ぞうちょうてん)
像高3.0m。須弥壇の左手手前にいます。1人だけ兜を被っています。目を細めて睨んできます。こちらも右足を上げています。
▲広目天(こうもくてん)
像高3.1m。お堂の左奥にいます。右手に筆を持ち、左手に巻物を持っています。
▲多聞天(たもんてん)
像高3.1m。お堂の右奥にいます。お堂では暗くて見にくい場所です。しかし、ソロ活動するときは毘沙門天(びしゃもんてん)と呼ばれる人気者です。
秘仏 執金剛神立像(しゅこんごうじんりゅうぞう)
執金剛神像とは金剛杵(こんごうしょ)を執って仏法を守護する神のことで、金剛力士(仁王)はこの神将が発展して生まれたといわれている。普段は不空羂索観音像背後の厨子内に収められておられますが、年に一度12月16日の良弁忌のみ公開される秘仏です。
長年厨子の中に安置されていたので、当初の色彩が鮮明に残っています。
※画像は全て「講談社 日本の仏像」から引用しました。
法華堂は、仏たちの大きさと睨みに圧倒され、心にたまった邪気が振り払われるようです。畏敬の念や緊張感を持って参拝する稀有なお堂ですので、東大寺へ行ったらぜひ法華堂まで足を伸ばしてください。
▲法華堂のご朱印
仏教とヒンドゥー教は同じ神々を祀っている⁈
仏教は紀元前5世紀にインドで生まれました。同時期にインドで発展したヒンドゥー教と同様、古代インド神話の影響を多く受けたので、共通する神々がたくさんいます。
仏教ではインド神話由来の仏は天部と分類され、名前の最後に「天」が付きます。そこで、ヒンドゥー教の神々が仏教ではどのように扱われているか調べました。
ブラフマーと梵天(ぼんてん)
ブラフマーは、古代インドにおいて宇宙の根源とされた「ブラフマン」を神格化したものです。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ(維持神)、シヴァ(破壊神)と共に三大神の1人です。
仏教では梵天と呼ばれます。釈迦が悟りを開いたあと、その喜びに浸り自分だけで満足し、それを広めようとしませんでした。そこで、人々のために法を説くよう梵天が勧め、請い願ったことを「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」といい、仏教発展の重要な役割を担っています。
▲ブラフマー 四面四臂で鵞鳥(ハンサチョウ、ガチョウ)に乗っています。
出展 https://commons.m.wikimedia.org/
▲東寺 国宝梵天像 こちらは四面四臂で額に第三の目があるのが特徴です。4羽の鵞鳥(ガチョウ)に乗っています。出典「朝日新聞出版 国宝の美」
インドラと帝釈天
インドラは天空を神格化した神です。雷と戦いの神でもあります。バラモン教では金髪に金の肌で天空を駆ける軍神で、主役級の神様でした。しかし、ヒンドゥー教へと発展していくうちに、この神様は段々シヴァの役割に取って代わられていきます。現在では「東方の守護神」として位置づけられています。象の王アイラーヴァタという白象に乗っています。
仏教では帝釈天と呼ばれます。忉利天(とうりてん)という天界にある善見城(ぜんけんじょう)に住んで、四天王を従えています。阿修羅との戦いが有名で、阿修羅に勝って仏教に帰依させました。
▲インドラ 白い象アイラーヴァタに乗っています。
出典 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
▲東寺 国宝帝釈天 額に第三の目があります。イケメン仏像として有名です。こちらも象に乗っていますが、象が少し小さいですね。出典「朝日新聞出版 国宝の美」
クベーラと毘沙門天(びしゃもんてん)
クベーラは地下に埋蔵されている財宝の守護神であり、またローカパーラ(世界を守る者)の一人として北方の守護神とされます。
仏教では、多聞天または毘沙門天と呼ばれます。四天王の1人である多聞天は北の守護神でヒンドゥー教と同じです。毘沙門天はソロ活動の時の名前です。七福神として有名です。
▲クベーラ 肩車されてます。
出典 https://commons.m.wikimedia.org/
▲東寺 国宝兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)
地天女(ちてんにょ)に足元を支えられています。両脇に餓鬼もいます。出典「双葉社 仏像がもっとわかる本」
サラスヴァティーと弁才天
サラスヴァティーは、もともとは西北インドにあった大河の名前を指します。河がもたらす恵みから豊穣の女神となり、流れる河の音から音楽の女神でもあります。4本の腕を持ち琵琶のような楽器を持っています。ブラフマーの妻です。
仏教では七福神の弁才天です。音楽の神、智慧の神、水の神、蓄財の神などさまざまなご利益があります。「才」を「財」に代えて弁財天と表記するお寺もあります。その場合、蓄財の神、五穀豊穣の神として祀られています。
日本では独自の進化を遂げ、宗像三女神(むなかたさんじょしん)の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されて、神社にお祀りされています。江の島の江島神社と鎌倉の銭洗弁天(宇賀福神社)が有名です。
▲サラスヴァティー
出典 https://commons.m.wikimedia.org/
▲江島神社 妙音弁才天像 出典「枻出版社 天の仏像のすべて」
ヴィシュヌと釈迦
最後に驚きの事実で終わりたいと思います。
ヴィシュヌはヒンドゥー教三大神の1人です。世界が悪の脅威にさらされたとき、混沌に陥ったとき、破壊的な力に脅かされたときには「維持者、守護者」として様々なアヴァターラ(化身)を使い分け、地上に現れるとされています。
なんと、釈迦も化身の1人なんです。偉大なるヴェーダ聖典を悪人から遠ざけるために、敢えて偽の宗教である仏教を広め、人々を混乱させるために出現したとされています。
ヒンドゥー教にとって仏教はひとつの宗派のようです。釈迦も重要な役割があります。
▲釈迦 出典 https://ja.m.wikipedia.org/
インドで仏教は廃れてしまいましたが、インドで生まれ仏教とヒンドゥー教には深いつながりがあります。
大仏師運慶の大好仏その2
9月に東京国立博物館で「運慶展」が開催されます。それを記念し勝手にコラボ企画の第2弾です。私が好きな運慶の傑作をご紹介します。
興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」
2017/09/26 ~ 2017/11/26
国宝 金剛力士立像
運慶と言えば奈良 東大寺南大門の金剛力士像、阿形(あぎょう)吽形(うんぎょう)がもっとも有名ですね。歴史の教科書には運慶の代表作として必ず掲載されます。ただし、運慶がひとりで製作したのでなく、慶派一門の共同作業です。その中には快慶も含まれていました。
8mを超える巨像が門の左右から参拝者に睨みをきかせてます。悪者が結界に近づかないようお寺を守護しています。
▲阿形 出典「講談社 日本の仏像」
▲吽形 出典「講談社 日本の仏像」
国宝 八大童子
高野山霊宝館に安置されています。八大童子とは不動明王に仕える童子です。童子たちの表情をご覧ください。それぞれ個性があり、よいお顔をしています。玉眼の目が今にもこちらを見つめてきそうです。
▲制多迦童子(せいたかどうじ)以下、出典はすべて「講談社 日本の仏像」
▲恵光童子(えこうどうじ)
▲矜羯羅童子(こんがらどうじ)
▲恵喜童子(えきどうじ)
▲清浄比丘童子(しょうじょうびくどうじ)
▲烏倶婆俄童子(うぐばがどうじ)
国宝指定は以上の6躯です。他の2躯は後から作り直されました。
▲指徳童子(しとくどうじ)
▲阿耨達童子(あのくたどうじ)
重文 帝釈天、梵天、聖観音立像
愛知県岡崎市にある瀧山寺の宝物殿に安置されています。地元愛知県唯一の運慶作品です。
今までの仏像より色彩が鮮やかなのは、江戸時代と明治時代に塗り直しされたからです。オリジナルはどのような色彩だったのか想像するのも楽しいです。
▲帝釈天立像 出典「枻出版社 天の仏像のすべて」
帝釈天は仏教の守護神で、インドの神インドラが仏教に取り込まれたものです。妻はなんと、阿修羅の娘です!しかも、帝釈天と阿修羅は以前はとても仲が悪くいつも闘っていましたが、娘をさらわれた阿修羅が怒ったのが原因でした。もちろん、今は仲良しです。
帝釈天は衣の下に鎧を着ているのが特徴です。
▲梵天 出典「枻出版社 天の仏像のすべて」
梵天も古代インドの神「ブラフマー」が仏教に取り入れられたものです。四面四臂が特徴です。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ、シヴァと共に三大神の1人です。梵天と帝釈天は仲良しでいつも対でいるので、梵釈と呼ばれます。
▲聖観音立像 出典「枻出版社 天の仏像のすべて」
まだまだ運慶の素晴らしい作品は数多くあります。ここで紹介できなかった作品が展示会に出展されるので、秋はぜひトーハク(東京国立博物館)へ足を運んでみてください。
興福寺の御朱印
仮講堂を拝観した後、東金堂と南円堂にお参りしました。
▲国宝 東金堂と国宝 五重塔
▲東金堂正面
▲東金堂の几帳 鹿の文様ですね
東金堂を参拝しました。本尊は重文の薬師如来坐像です。脇侍の日光・月光菩薩像(いずれも重文)、文殊菩薩像と維摩居士(ゆいまこじ)像、四天王像、十二神将像(以上いずれも国宝)が安置されます。
今回、特別に旧東金堂本尊の仏頭が展示されていました。
▲東金堂の御朱印と御詠歌『猿沢の 池のほとりの寺庭に 瑠璃の光は あまねかりけり』
▲重文 南円堂
▲2014年9月の南円堂 右手に一言観音があります。
南円堂は普段は非公開のため、脇にある一言観音をお参りしました。その名の通り、一言だけのお願いをするとそれが叶えられるという人気のお堂です。
▲一言観音の御朱印と御詠歌『頼もしく あゆみを運べ 一言の ねがいもすてぬ 誓い今せば』
最後に奈良のグルメ情報です。
ランチは「天極堂 奈良本店」で葛料理と葛餅をいただきました。奈良国立博物館から徒歩約5分です。1870年創業の吉野本葛の老舗です。葛料理は初めていただきましたが、とても美味しかったです。葛餅は絶品でした。