祇園の八坂神社について
新型コロナの外出自粛の影響で寺社巡りができずブログ更新が滞っていましたか、緊急事態宣言が解除されこれから徐々に再開しようと思っています。
今回は京都祇園の八坂神社です。
何度もお参りしていますが、ブログで取り上げる機会がなかったのでまとめてみました。
▲石鳥居と南楼門 夏頃
▲南が正面入口です
八坂神社と祇園の関係
八坂神社は明治以前は祇園社(ぎおんしゃ)と称し鴨川一帯まで境内地を保有していました。
現在境内地は小さくなり、街に変わった界隈は祇園と呼ばれるようになりました。
歴史はとても古く諸説ありますが、656年と876年創始説が有力なようです。
▲西楼門 冬の頃 祇園の四条通のどんつきにあるのでこちらから参拝する人が多いです。
御祭神
素戔嗚尊(すさのをのみこと)とその妻の櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)をはじめとする、十三座の神々が祀られています。
素盞嗚尊は、最高神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟です。
八岐大蛇(やまたのおろち)退治で有名です。八塩折之酒(やしおりのさけ)で大蛇を眠らせ退治しました。
映画「シンゴジラ」の"ヤシオリ作戦"はこの神話からとったものです。監督のセンスを感じます。
▲本殿(重要文化財)
▲舞殿(重要文化財)
御利益
特に○○に効くという特定の御利益は案内されておらず、家内安全、病気平癒など願い事全般を叶えてくださる神様です。
美御前社(うつくしごぜんしゃ)と美容水
境内にある美御前社には美人の誉れ高き宗像三女神(むなかたさんじょしん)がお祀りされています。
多岐理毘売命(たぎりびめのみこと)
多岐津比売命(たぎつひめのみこと)
市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)
特に市杵島比売命は際立つ美貌を誇り、財福、芸能、美貌の神としての信仰があります。
社殿前には神水が湧き出ており、肌の健康はもとより心から美しく磨かれる「美容水」としてご女性の参拝客に人気です。
2,3滴取り肌につけると御利益があるそうです。
祇園祭り
京都三大祭りのひとつ「祇園祭り」は八坂神社のお祭りです。1300年の歴史があります。
毎年7月1日から開かれますか今年は山鉾巡行が中止になっています。
祇園祭の山鉾巡行中止を発表「苦渋の決断だった」 日本三大祭り|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
御朱印
▲令和元年に頂いた御朱印です。
▲西楼門の狛犬
平安神宮散策
平安神宮を参拝しました。
大鳥居
ひとつ前のブログで紹介した青蓮院門跡の目の前が神宮通です。
通りを北へ上ると視線の先に平安神宮の大鳥居が見えます。何かワクワクします。
三条通の交差点を渡ると道幅が広がり、通りの両側のお店を眺めながら歩くと琵琶湖疎水にかかる慶流橋に着きます。
ここまで来ると大鳥居は目と鼻の先なのでとても巨大です。
丹塗と金箔がとても鮮やかです。
応天門
鳥居越しに見えるのが応天門です。
平安神宮の正面入口です。
青丹のコントラストがとても鮮やかです。
社殿
応天門をくぐると広大な境内に入ります。
社殿は平安京の正庁朝堂院が約8分の5の規模で再現されています。
▲大極殿(だいごくでん)
天皇ゆかりの神宮のため、こちらにも右近の橘左近の桜があります。
▲蒼龍楼(そうりゅうろう)
歴史
平安遷都1100年を記念して、1895年(明治28年)に創建されました。歴史の浅い神宮です。
明治初頭の京都は幕末の戦乱で荒廃し、首都も東京へ移ってしまったのでかなり衰退したようです。
しかし、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」により、数々の復興事業を展開されました。
これらの熱意と一連の町おこし事業が結実して、平安神宮が創建されました。
御祭神
御祭神は遷都を行った第50代桓武(かんむ)天皇と、第121代孝明(こうめい)天皇です。
孝明天皇は、幕末の激動期の天皇として、明治維新の礎となられた方です。
1866年(慶応2年)36歳の若さで崩御されました。
神苑
平安神宮の庭園である神苑は社殿の東西北側を囲んだ広い庭園です。HPにはその素晴らしさが紹介されています。
今回残念ながら時間が足りなくて散策できませんでしたが、次回はゆっくり楽しみたいと思います。
御朱印
▲シンプルでいいですね。
おまけ
平安神宮にすぐ近くにある「ロームシアター京都」は、おススメです。
コンサートホールですが。ゆっくりお茶や食事をすることができます。
名建築家の前川國男が設計し1960年に開館しました。
襖絵とお庭が素晴らしい門跡寺院 〜青蓮院門跡〜
京都東山にある青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)を参拝しました。
見どころは襖絵とお庭です。
襖絵
受付をして少し進むと鮮やかな蓮の襖絵がある華頂殿に入ります。
▲襖絵の上には三十六歌仙額絵がありました。
▲襖絵は木村英輝さんの作品です。
赤、青、黒、水色の蓮が鮮やかに描かれています。トンボやカエルがかわいいですね。
相阿弥の庭園
華頂殿から望むのが相阿弥の作の庭園です。
縁側に腰掛けてお庭をゆったり眺めることができます。
▲奥に見えるのが龍心池です。
宸殿(しんでん)
宸とは天子の住まいや天子に関する事柄に添える語です。
宸殿は天皇家からの出家者が座る公式行事が行われる建物です。
宸殿前は苔に覆われたお庭があり、右近の橘、左近の桜が配置されています。
京都御所の紫宸殿にならい植えられています。
雛人形の飾りにもありますね。
▲右近の橘 奥に楠の大木があります。
▲左近の桜 もうすぐ開花です。
▲こちらが京都御所の右近の橘左近の桜です。
御朱印
曼陀羅は2m四方の掛軸で中心に熾盛光如来を表す梵字が描かれているそうです。
非公開のため見ることはできませんでした。
京都五箇室門跡
青蓮院門跡、妙法院門跡、三千院門跡、曼殊院門、毘沙門堂門跡は天台宗の京都五箇室門跡と呼ばれ古くから皇室と関わり深く格式の高い寺院です。
極楽浄土と那須与一縁のお寺 〜即成院〜
京都の即成院(そくじょういん)を参拝しました。泉涌寺の塔頭(たっちゅう)です。
同じ塔頭の戒光寺から歩いて2、3分、泉涌寺からは10分弱のところにあります。
▲山門
由緒
平安時代(992年)に伏見に建立された光明院が始まりとされています。
明治維新の廃仏毀釈で無住となりましたが泉涌寺塔頭の法安寺と合併し、明治35年(1902)現在地で再興されました。
▲本堂
阿弥陀如来と二十五菩薩
本堂には、1094年に造られたといわれる阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)と二十五人の菩薩が祀られています。
死者を極楽に引き取る来迎(らいごう)を表現しています。
菩薩たちは摺り鉦(がね)、太鼓、笛などさまざまな楽器を奏でたり、歌っている姿をしています。
そして真ん中に穏やかなお顔をされた阿弥陀様が鎮座しています。
像高が5.5mありかなり大きな仏像です。菩薩たちも1.5mの高さがあるので、見上げるかたちでお参りします。
大勢で賑やかに極楽へお迎えに来てくれるので、安心して逝けますね。
▲お雛様のようにひな壇に並んでいます。出典 泉涌寺HP
如意輪観音
一体だけ来迎とは関係のない如意輪観音(にょいりんかんのん)もいます。
立て膝座りに頬杖をついてリラックスしているように見えますが、衆生(しゅじょう)を救うため想いを巡らせている姿だといわれています。
こちらの観音様はお顔が整った素晴らしい仏像として有名です。
▲出典 枻出版社「ぐっとくる!仏像」
那須与一(なすのよいち)
源平合戦で源氏のヒーローとして活躍した那須与一のお墓といわれる供養塔があります。
晩年に即成院で庵を構えた与一はこのお寺で生涯を閉じたそうです。
与一は百発百中の弓矢の名手でしたので、狙った的を外さないことから、合格祈願のお寺としても有名です。
今でもお墓に参拝することができます。
▲本堂の裏にあります。
御朱印
こちらのお寺には限定御朱印もありましたが、
仏様の解剖図鑑
すみません…5ヶ月振りの投稿です。
今回は仏像の勉強にもってこいの本を見つけたのでご紹介します。
瓜生 中 氏の「日本の仏様 解剖図鑑」です。
有名な如来、菩薩、明王、天部の一人一人の解説があり、これを読めば日本にあるほとんどの仏像を網羅することができます。
さらに、羅漢(らかん)と高僧の解説まであるので、鑑賞の幅が広がります。
内容的には、仏像鑑賞の中級者向けの本だと思いました。
中級者が知識の幅を広げるには最適な本です。
また、上級者とっては復習や知識の整理をすることができます。
久しぶりに仏像の本を読んで、しっかり復習することができました。
仏像好きな方にはお薦めの本ですので興味がある方はぜひご覧ください。
子供時代に怪獣図鑑や仮面ライダー図鑑などが大好きだったので、このての本に惹かれるのは否めません(笑)
丈六戒光寺
京都の泉涌寺の塔頭(たっちゅう)で、地元では丈六さんと呼ばれる戒光寺に参拝しました。
泉涌寺から徒歩で約5分のところにあります。
由緒
何度かの移築後、1625年に泉涌寺の塔頭として現在の地に落ち着きました。
なぜ丈六さん?
お寺の本尊が丈六(一丈六尺、約4.85m)の「釈迦如来立像」だからです。
釈迦の身長が丈六であったと言われているので、丈六仏は多く作られています。
実際は像高約5.4m、台座から光背部を入れると約10メートルにもなります。
大仏師湛慶・運慶親子が作った重要文化財指定の仏像です。
▲出典 戒光寺HP
目の前で対峙すると厳かでとても迫力があり、自然と合掌してしまいます。
▲本堂
丈六仏の伝説
本尊のあごから首元にかけて液体が流れたような痕が見えます。
これは血の跡だといわれています。
江戸時代、後水尾天皇が東宮であった頃、即位争いに巻き込まれ暗殺者に寝首を掻かれた時、この釈迦如来が身代わりにたたれ、ついた血の跡だといわれています。この事から、身代わりのお釈迦様と呼ばれるようになり、「悪しき事のお身代わりになってくださる」又、「首から上の病気、のどの病気を治してくださる」と、崇められています。
御朱印
泉涌寺とは違い戒光寺は庶民的なお寺で、拝観料なしで参拝できます。
泉涌寺参拝の折はぜひ訪問してください。
御寺(みてら)と呼ばれる皇室にとってとても大切なお寺 〜泉涌寺〜
令和となり、皇室ゆかりの寺社に関心が集まっているように感じます。
そこで、今回は皇室の菩提寺である京都の泉涌寺に参拝しました。
由緒
855年に仙遊寺という名で草創されましたが、お寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が、1226年に大伽藍を完成させました。
その時、寺地の一画から泉が湧いたので、「泉涌寺」と名前を改めました。
▲出展 泉涌寺HP
鎌倉時代に皇室と武家から深く帰依され、1242年の正月には四条天皇の葬儀を行うまでに発展しました。
その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇、江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の御葬儀を行なったことから、皇室の菩提寺として、長く篤い信仰を集めることとなったのが「御寺(みてら)」と呼ばれる所以です。
楊貴妃観音
入口にあたる大門のすぐ左手に、楊貴妃観音堂と呼ばれる小さなお堂があります。
その中に、世界三大美人のひとりの楊貴妃に似ていると言われる観音様が安置されています。
▲出展 泉涌寺HPより
▲観音堂
中国の南宋から請来した仏像です。
その美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕された像との伝承を生み、楊貴妃観音と呼ばれてきたそうです。
仏殿
大門をくぐると目の前に現れます。
江戸時代に再建された国の重要文化財です。
仏殿内陣には運慶作と伝える阿弥陀・釈迦・弥勒の三尊仏が安置され、過去・現在・未来の三世にわたって人類の平安と幸福を祈っています。
このような配置の三尊仏はとても珍しいので、一見の価値があります。
▲出展 泉涌寺HPより
仏殿の隣には舎利殿があります。残念ながら中は非公開です。
御座所と庭園
御座所は天皇皇后が来寺した際に休息所として使用されている建物です。
平成天皇も数回滞在されたそうです。
建物と庭園は普段非公開ですが、運良く公開されていました。
月輪山の森を借景とした素敵な庭園です。
御朱印
霊明殿とは歴代天皇皇后の尊牌(位牌)を安置している建物です。昭和天皇の御尊牌もあります。
泉涌寺は現在でも皇室にとってとても大切なお寺ですので、みなさんもぜひ参拝なさってください。