神仏欲な日々

神仏欲(しんぶつよく)とは、神社とお寺のことが好きでたまらない、愛欲のこと。

秋に燕子花(かきつばた)を鑑賞する 〜2回目の国宝展〜

2回目の国宝展です。

(もう終了しました)

 

本当は、東京国立博物館の運慶展へ行くつもりでした。しかし、どうしても尾形光琳の「燕子花図屏風」が観たくて、京都へ行ってきました。

7年前、所蔵する東京の根津美術館へ行ったのですが、あいにく展示品の入替作業のため休館でした。それ以来、出会いを待ち焦がれた作品でした。

 

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看板も燕子花に変わっていました。

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今回も平日に行きましたが満員です。前回は開館前に並んで入場しましたが、公式ツイッターで調べたら、お昼は短い待ち時間で入場できるようなので、12時頃に行きました。中庭は人で溢れていましたが、待ち時間なしで入場することができました。ただし、館内は大変混雑していました。

 

燕子花図屏風とは

 

伊勢物語」第九段「東下り」の一場面を描いた作品です

東国に下る歌人在原業平(あいわらのなりひら)が、三河国八橋(現在の愛知県知立市(ちりゅうし)八橋町)で川のほとり一面に咲く美しいカキツバタに心打たれ、遥かなる旅路と妻を思う歌を詠んだ場面です。

 

 『衣  つつなれにし  ましあれば  るばる来ぬる  をしぞ思う』

(何度も着て身になじんだ)唐衣のように(長年慣れ親しんだ)妻が(都に)いるので、(その妻を残したまま)はるばるきてしまった旅(のわびしさ)を、しみじみと思うことです。

 

各句の頭文字を取ると「か き つ は た」つまりカキツバタとなります。

 

私も25年前に見た、京都大田神社カキツバタの群落の美しさは今も忘れることはできません。

大田神社「かきつばた」のご案内│上賀茂神社(賀茂別雷神社:かもわけいかづちじんじゃ)公式Webサイト

 

八橋について

八橋の地名についてこんな由来があります。


昔、この地にいた医師が妻と二人の男の子と楽しく暮らしていました。しかし、医師は若くしてなくなり、残された妻は二人の子どもを育てるため、山でたき木を拾い、浦に出かけ海のりをとって、苦労しながらも子どもの成長を楽しみに暮らしていました。

兄は八歳、弟は五歳になったある日、母親が働きに出かけると留守番していた子どもたちは、母が恋しくなり川辺までやってきました。向こう岸で海のりをとっている母の姿をみつけると、駆け寄ろうとして、あやまって川に落ちて溺れてしまいました。
母は悲しみ、髪をおろして尼さんになりました。
「この川に橋さえあれば、子どもがおぼれることもなかったろうに、また、村の人たちも安心して、川を渡ることができるのではないか」と思い、観音様に祈りました。
ある夜のこと「浦へ行けば、材木がたくさん岸べに打ち寄せられている。それを使って橋をかけるがよい。」と、夢のお告げがありました。翌朝浦へ行ってみると、たくさんの材木がありました。
川はいく筋にも分かれ、クモの手のようになっており、たがいちがいに板を渡して向こう岸にとどく八つの橋ができあがりました。
村人は橋の数にちなんでこの地を八橋と名づけました。

 

八橋といえば、京都の銘菓八ツ橋。

このに感動した西尾家が、1689(元禄2)年、山城国愛宕郡聖護院村八ッ橋屋として開業。橋に似せた米粉の煎餅菓子を作ったのが西尾八ッ橋の由来です。

本家西尾八ッ橋|まんが版八ッ橋誕生物語

 

留守模様

この屏風絵には、業平をはじめ物語の内容を示すものは燕子花以外描かれていません。通常、8本の橋も描くことが多いのですが、それもありません。

これを「留守模様」と呼びます。主人公を描かず、道具や背景だけでその物語や歌を連想させる手法です。

光琳カキツバタだけの究極の留守模様を描きましたが、当時の人は伊勢物語に思いをはせることができたのです。

 

愛知県知立市でも毎年ゴールデンウィークの頃に「史跡八橋かきつばたまつり」が開催され、美しいカキツバタが見学できます。

お祭り・イベント [史跡八橋かきつばたまつり]|東海道五十三次39番目の宿場町、かきつばたの街、知立市

 

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▲キョーハクのゆるキャラ トラりん