神仏欲な日々

神仏欲(しんぶつよく)とは、神社とお寺のことが好きでたまらない、愛欲のこと。

ほんとうは怖かった、学問の神様

学問の神様として有名な天神さん(もしくは天満宮)。菅原道真公が祀られいますが、彼の天才伝説をご存知でしょうか?

聖徳太子なら、一度に三人の話を聞いて理解できたとか、弘法大師なら「弘法筆を選ばず」など、ことわざになるような有名な伝説があります。しかし、学問の神様でありながら、菅公についての天才伝説は聞いたことがありません。

それには理由があります。最初は、学問とまったく関係ない理由で祀られてたからです。 学問の神様は後付けだったのです。

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北野天満宮

 

異例の出世街道

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▲出典 北野天満宮HP

菅公は845年に生まれました。幼少より学業に励み、特に、和歌・漢詩に優れた才能の持ち主の神童でした。学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し、異例の出世を重ね、899年に右大臣の要職に任命されました。左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括しました。

経歴は素晴らしいと思いますが、神様としてのインパクトには欠けると思います。

 

左遷と憤死

ところが、突如藤原氏の策謀により、901年に太宰府に左遷されました。しかも、給与も従者も与えられず、悲惨な生活を強いられ、わずか2年後(903年)大宰府の配所にてその生涯を閉じました。

 

怨霊伝説

道真の死後、朝廷では菅公の左遷に関わった人物が病気や事故で次々と亡くなりました。

以下、主な人物を列挙しました。

906年 藤原定国、左遷の共謀者

908年 藤原菅根、左遷の共謀者、落雷で死亡
909年 藤原時平、左遷の首謀者、39歳の若さで病死
913年 源光、後任の右大臣。狩りの最中に泥沼で溺死

923年 保明親王、時平の甥
925年 慶頼王、時平の外孫、5歳で病死

極めつきが、930年 内裏の清涼殿に落雷があり多数の死傷者が出ました。(清涼殿落雷事件)
都は菅公の祟りだと大騒ぎになったそうです。

 

北野天満宮

落雷事件から菅公の怨霊は雷神と結び付けられました。947年 朝廷は菅公の怨霊を鎮めるため、火雷神(ほのいかづちのかみ)が祀られていた京都の北野に天満宮を建立しました。しかし、以後百年は災害の度に道真の祟りと恐れられていたそうです。

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御朱印

 

天神さま

江戸時代になると、雷神の信仰が薄れ、神童だった菅公にちなんで学問の神様として信仰されるようになり、天神さま=菅原道真公になったようです。

天神社、天満宮は全国に約1万2000社あり、その総本宮北野天満宮太宰府天満宮です。

なお、防府天満宮(ほうふてんまんぐう)を加えて、日本三大天神と言われています。

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太宰府天満宮