神仏欲な日々

神仏欲(しんぶつよく)とは、神社とお寺のことが好きでたまらない、愛欲のこと。

伏見稲荷と豊川稲荷は全然違います

「お稲荷さん」といえば「狐がいる神社」というのが一般的ですが、わたしの地元愛知県にある豊川稲荷は、お寺だったのを最近知ったので、神社とお寺のお稲荷さんの違いを調べてみました。


神社と寺院


稲荷神社は全国に3万社以上もあり、京都の「伏見稲荷大社」が総本宮です。
(総本宮とは"本家本元""ルーツ"のこと)
全国の稲荷神社は伏見稲荷につながっています。
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出典「伏見稲荷大社HP」

豊川稲荷の正式名は「圓福山豊川閣妙嚴寺」(えんぷくざん とよかわかく みょうごんじ)で、曹洞宗のお寺です。
寺院系には、岡山市にある最上稲荷(さいじょういなり)も有名ですが、こちらは日蓮宗のお寺です。
お稲荷さんと宗派は関係ないようです。
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出典 豊川稲荷HP

稲荷の神様と仏様


稲荷神社の多くは、ウカノミタマノカミ(古事記では宇迦之御魂神、日本書紀では倉稲魂命と表記)をお祀りしています。
「ウカ」とは穀物、食物の意味で穀物の神です。商売繁盛のご利益はあとから加わったようです。

いっぽうお寺では、荼枳尼天(だきにてん)をお祀りしています。
空海(弘法大師)が中国からもたらした真言密教荼枳尼天と、稲荷神がつながり、同一視されるようになり発展したようです。f:id:kamibutsuyoku:20160413134839j:image
荼枳尼天 出典 豊川稲荷HP   豊川稲荷では「豊川ダニシキシン天」と記載されています。


神と仏の同一視とは


では、なぜ神と仏が同一視されるのか?

江戸時代以前、神社とお寺には厳格な区別が存在せず、お寺の中に神社があったり、その逆もありました。
神仏習合(しんぶつしゅうごう)や神仏混淆(しんぶつこんこう)とも呼ばれますが、昔から、神仏はともに祀られていたことが多かったのです。

日本の神道八百万の神々を祀り、インドで生まれた仏教ヒンドゥー教ゾロアスター教の神々を取り入れて発達してきました。
お互いたくさんの神様、仏様をお祀りすることに抵抗がなかったことは、容易に想像できます。

また、日本では本地垂迹(ほんじすいじゃく)という思想が生まれました。これは仏様が日本の国に神という形で現れたという思想です。
仏教を広めるための都合のよい思想な気がしますが…

大黒天と大国主命(オオクニヌシノミコト)は有名な組み合わせです。
(大国の訓読みは"だいこく"だから、結びついたらしいです)
お稲荷さんは、荼枳尼天が宇迦之御魂神の形で現れたということだと思います。


お稲荷さんは2種類あることを知ったうえで、お参りすると、また面白い発見があると思います。