神仏欲な日々

神仏欲(しんぶつよく)とは、神社とお寺のことが好きでたまらない、愛欲のこと。

鞍馬の毘沙門天

京都の鞍馬寺の国宝毘沙門天立像に会いに行きました。

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▲仁王門

 

鞍馬寺

天狗と牛若丸伝説で有名なお寺です。

昔から神聖な場所とされており、都の北方守護のお寺として重要視されていました。

パワースポットとしても有名です。

 

奈良時代末期の770年に、鑑真和上の高弟・鑑禎上人が毘沙門天を祀る草庵を結んだのが始まりとされる古刹です。

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▲山門の看板
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▲山門をくぐると緑の階段です

 

尊天

鞍馬山の信仰は、宇宙の大霊であり大光明・大活動体である 「尊天」を本尊と仰いでいます。

 

月輪の精霊―愛=千手観世音菩薩
太陽の精霊―光=毘沙門天
大地の霊王―力=護法魔王尊


の姿であらわして、この三身を一体として「尊天」と称しています。

この教えは他のお寺にはない、大変めずらしいものです。

 

国宝 毘沙門天三尊像(びしゃもんてんさんそんぞう)

毘沙門天像は霊宝殿に安置されています。

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両脇に吉祥天(きっしょうてん)と善膩師童子(ぜんにしどうじ)がいます。吉祥天は毘沙門天の奥さんで、童子その子供です。

三尊像としては最古の作例で、三体とも国宝に指定されています。

 

毘沙門天は北方の守護神なので、鞍馬寺の本尊になったようです。

 

毘沙門天像の特徴は、目・体格・ポーズです。

 

目がとても変な形をしています。

目頭がふたつあり、睨みつけるような眼差しをしているので、ありえない目になっています。

しかし、それが愛嬌になって親しみを感じます。

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▲出典「講談社 日本の仏像」

 

体格

体格はガッチリしています。

特に、足腰が太くて頼りがいがあります。

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ポーズ

一般的な毘沙門天のポーズとは違い、左手を目の上にかざし、遠くを見つめています。他に例はないと思います。

ただし、左手は後補なので、以前は一般的なポーズではないかと推測されています。

変な目に注目してもらいたくて、左手を変更したのではないかと思います。

 

吉祥天と善膩師童子

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▲出典「講談社 日本の仏像」

毘沙門天とは対照的に穏やかな表情をしています。

霊宝殿には、あと三体の毘沙門天立像と聖観音立像が安置されています。いずれも見応えがある仏像です。

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▲本堂前の絶景です。

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御朱印

青もみじ御朱印巡り

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京都と言えば紅葉がとても綺麗ですね。秋の京都はとても魅力的です。食事も美味しいですし。

 

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▲イメージです。

 

しかし、ベストシーズンがゆえにとても混んでいます。平日でも紅葉狩りの観光客でどこもいっぱいです。

さらに、最近は海外からの観光客が加わり、大変なことになっています。

 

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それに比べ初夏は、花の盛りが過ぎ、少し人出が少ない気がします。

 

また、楓などの紅葉が綺麗な木々には、新緑が芽吹き、生命感に溢れとても爽やかです。

 

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なので、私はゴールデンウィークに京都へ出かけることが多いです。新緑の中を仏像巡りです。

 

それに目をつけたJR東海が、キャンペーンを実施しています。

 

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▲出典 JR東海HP

http://souda-kyoto.jp/tokusyu/early_summer/2017/index.html

 

新緑の中に佇む古いお寺を訪れると、悠久の時を感じます。

 

お経と仏像の深い関係

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仏像の姿形は、仏様によって決まっています。

如来なら、髪は螺髪で布をまとっただけの質素な服装です。

菩薩なら、髪を結い上げ、アクセサリーをたくさんつけてゴージャスです。

天部は服装が比較的自由な感じですが、身体的特徴は決まっています。

 

なぜ決まっているのか?

 

それは、お経に書いてあるからです。髪型、服装、身体的特徴など、かなり詳細に書かれています。

とういうことで、経典のことが知りたくてこんな本を買いました。

 

楽しみです。

 

般若心経について、以前こちらの記事を書いたのでご覧ください。

般若心教は相対性理論により証明された⁈ - 神仏欲な日々

伊奈波神社の枝垂れ桜

岐阜市伊奈波神社に行きました。

表参道の枝垂れ桜が満開で、とても綺麗でした。

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▲表参道の枝垂れ桜

満開です!

 

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伊奈波神社境内風景

ご祭神は、「五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)」です。

第十一代垂仁天皇の長男で、日本書紀にも記述がある神様です。

 

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▲境内にある黒龍大社

伊奈波大神以前から、この地でお祭りされていた神さまです。

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▲今回は黒龍神社の御朱印をいただきました。

 

 

 

 

 

火伏の弥陀 〜栄国寺〜

大須仏壇通りを南に下る途中で東に曲がると、栄国寺というお寺があります。そこに「火伏の弥陀」「火伏不思議の弥陀」と呼ばれる阿弥陀如来坐像があります。

 

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▲栄国寺 門

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▲本堂の看板

 

栄国寺

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▲本堂

正式名は清涼山栄国寺(せいりょうざんえいこくじ)浄土真宗のお寺です。

京都の嵐山にある清涼寺と縁がありそうです。

江戸時代、この付近は尾張藩の千本松原刑場あったところでした。寛文4年(1665年)、尾張藩二代藩主 徳川光友が刑場を他の場所に移し、跡地に菩提のため「清涼庵」を開基したのが起源です。

 

当時、多くの切支丹が処刑されたため、彼らの菩提を弔うため供養塔が建立され、以来切支丹とは縁の深いお寺です。

現在では、切支丹遺構博物館が境内にあります。

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阿弥陀如来坐像

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阿弥陀如来坐像

本尊の阿弥陀如来坐像は、尾張北部の丹羽郡塔ノ地村・薬師寺のから光友が移させた仏像で、「火伏不思議の弥陀」と称せられ、鎌倉時代の作です。

元あったお寺付近も大火がなく、戦時中の名古屋大空襲でも、このお寺は焼けなかったそうです。

像高は2mを超え、その堂々とした体躯がありながら、全体のバランスが素晴らしい仏像です。写真でもわかるように、目が印象的です。

名古屋三大大仏のひとつです。

 

阿弥陀五臓

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左脚を下げリラックスした体勢で、口元に微笑みをたたえた、美しい阿弥陀仏です。

胎内に五臓が納められている点が、最大の特徴です。写真がありますが、結構リアルな模型です。

 

本堂にはその他に、清涼寺式釈迦如来立像、馬頭観音坐像があります。

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▲釈迦如来立像

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馬頭観音坐像

 

また、他のお堂には、如意輪観音菩薩尊像、聖観音坐像などがあります。

 

名古屋市内で、これほどの仏像が残されたお寺は他にないと思います。火伏の弥陀のご利益ですね。

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御朱印

 

大須仏壇通りを歩く

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名古屋城から大須を抜け熱田までの道を"本町通"と呼びます。 江戸時代は尾張名古屋のメインストリートでした。

現在、往時の繁栄はありませんが、通り沿いには神社仏閣が多くあり、歴史の古い料亭や商店がわずかに残っています。

 

しかし、大須界隈になると今でも商店が立ち並びとてもにぎわっています。

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大須の本町通

 

ところが、大須の南端を東西に横切る大須通を超えるとガラリと雰囲気が変わります。

通りの両側は仏壇屋さんばかりになります。

通りを一本入った裏通りにも、仏壇屋さんがたくさんあり驚きました。

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▲仏壇屋の看板が並びます

ショーケースには、仏壇や仏像や仏具が並びます。仏像ファンの私はワクワクします。

今回は、栄国寺へ向かう途中だったので、店内に入りませんでしたが、次回は勇気を出して中を見たいですね。

 

実は、愛知県は仏壇作りが盛んな場所なんです。

 

戦火を生き延びた名古屋の美仏 〜七寺〜

名古屋市大須にある七寺(ななつでら)で、重要文化財の菩薩像に会ってきました。

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真言宗智山派の準別格本山です

正式名は「稲園山正覚院長福寺」です。

別格本山とは… 今度調べます。

 

七寺

735年に創設された歴史あるお寺です。

栄枯盛衰を繰り返し、1611年 徳川家康の命で現在地の名古屋市中区大須に引っ越して来ました。創設から数えて3度目の引っ越しです。

 

当時は敷地が8000坪もあり、名前の由来になった7つのお堂が建っていました。また、境内には芝居小屋が3軒もあるほど賑わっており、当時は大須観音よりも大きかったそうです。

 

しかし、明治と大正の区画整理により1/6の大きさになり、第二次世界大戦の空襲で、お堂をひとつだけ残して全て焼けてしまいました。

今では、残ったお堂の周辺を残すのみとなりました。

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▲奥がお堂、手前が寺務所です

かつての敷地には、マンションや飲食店が並びます

 

観音菩薩勢至菩薩

空襲でほとんどの仏像が焼けてしまいましたが、奇跡的に観音菩薩勢至菩薩だけが救い出されました。

高さが3mもあった本尊の阿弥陀如来は大きすぎて、運べなかったそうです。

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勢至菩薩 出典 お寺のチラシ

両菩薩は平安時代末期に製作され、慶派の始祖康慶の作品ではないかと言われています。

 

私見ですが、整ったお顔と玉眼の目元を見ると、慶派の仏像で間違いないと思います。

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▲戦災前の阿弥陀三尊 出典 お寺のチラシ

 

地元名古屋にもこのような素晴らしい仏像があったことを誇りに思います。 

 

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御朱印

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▲戦火を生き延びた大日如来像。継ぎはぎがお寺の歴史を物語っています