神仏欲な日々

神仏欲(しんぶつよく)とは、神社とお寺のことが好きでたまらない、愛欲のこと。

仏様の解剖図鑑

すみません…5ヶ月振りの投稿です。

 

今回は仏像の勉強にもってこいの本を見つけたのでご紹介します。

 

瓜生 中 氏の「日本の仏様 解剖図鑑」です。

日本の仏様 解剖図鑑

日本の仏様 解剖図鑑

 

有名な如来、菩薩、明王、天部の一人一人の解説があり、これを読めば日本にあるほとんどの仏像を網羅することができます。

さらに、羅漢(らかん)と高僧の解説まであるので、鑑賞の幅が広がります。

 

内容的には、仏像鑑賞の中級者向けの本だと思いました。

中級者が知識の幅を広げるには最適な本です。

また、上級者とっては復習や知識の整理をすることができます。

 

久しぶりに仏像の本を読んで、しっかり復習することができました。

 

仏像好きな方にはお薦めの本ですので興味がある方はぜひご覧ください。

 

子供時代に怪獣図鑑仮面ライダー図鑑などが大好きだったので、このての本に惹かれるのは否めません(笑)

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丈六戒光寺

京都の泉涌寺塔頭(たっちゅう)で、地元では丈六さんと呼ばれる戒光寺に参拝しました。

泉涌寺から徒歩で約5分のところにあります。

 

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由緒

鎌倉時代に創建されましたが、応仁の乱で堂宇が焼失しました。

何度かの移築後、1625年に泉涌寺塔頭として現在の地に落ち着きました。

 

 

なぜ丈六さん?

お寺の本尊が丈六(一丈六尺、約4.85m)の「釈迦如来立像」だからです。

釈迦の身長が丈六であったと言われているので、丈六仏は多く作られています。

実際は像高約5.4m、台座から光背部を入れると約10メートルにもなります。

大仏師湛慶・運慶親子が作った重要文化財指定の仏像です。

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▲出典 戒光寺HP

目の前で対峙すると厳かでとても迫力があり、自然と合掌してしまいます。

 

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▲本堂

 

丈六仏の伝説

本尊のあごから首元にかけて液体が流れたような痕が見えます。

これは血の跡だといわれています。

江戸時代、後水尾天皇東宮であった頃、即位争いに巻き込まれ暗殺者に寝首を掻かれた時、この釈迦如来が身代わりにたたれ、ついた血の跡だといわれています。この事から、身代わりのお釈迦様と呼ばれるようになり、「悪しき事のお身代わりになってくださる」又、「首から上の病気、のどの病気を治してくださる」と、崇められています。

 

御朱印

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泉涌寺とは違い戒光寺は庶民的なお寺で、拝観料なしで参拝できます。

泉涌寺参拝の折はぜひ訪問してください。

 

 

 

御寺(みてら)と呼ばれる皇室にとってとても大切なお寺 〜泉涌寺〜

令和となり、皇室ゆかりの寺社に関心が集まっているように感じます。

そこで、今回は皇室の菩提寺である京都の泉涌寺に参拝しました。

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由緒

855年に仙遊寺という名で草創されましたが、お寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が、1226年に大伽藍を完成させました。

その時、寺地の一画から泉が湧いたので、「泉涌寺」と名前を改めました。

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▲出展 泉涌寺HP

 

鎌倉時代に皇室と武家から深く帰依され、1242年の正月には四条天皇の葬儀を行うまでに発展しました。

その後、南北朝安土桃山時代の諸天皇、江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の御葬儀を行なったことから、皇室の菩提寺として、長く篤い信仰を集めることとなったのが「御寺(みてら)」と呼ばれる所以です。

 

楊貴妃観音

入口にあたる大門のすぐ左手に、楊貴妃観音堂と呼ばれる小さなお堂があります。

その中に、世界三大美人のひとりの楊貴妃に似ていると言われる観音様が安置されています。

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▲出展 泉涌寺HPより

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観音堂

中国の南宋から請来した仏像です。

その美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕された像との伝承を生み、楊貴妃観音と呼ばれてきたそうです。

 

仏殿

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大門をくぐると目の前に現れます。

江戸時代に再建された国の重要文化財です。

仏殿内陣には運慶作と伝える阿弥陀・釈迦・弥勒の三尊仏が安置され、過去・現在・未来の三世にわたって人類の平安と幸福を祈っています。

このような配置の三尊仏はとても珍しいので、一見の価値があります。

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▲出展 泉涌寺HPより

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仏殿の隣には舎利殿があります。残念ながら中は非公開です。

 

御座所と庭園

御座所は天皇皇后が来寺した際に休息所として使用されている建物です。

平成天皇も数回滞在されたそうです。

建物と庭園は普段非公開ですが、運良く公開されていました。

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月輪山の森を借景とした素敵な庭園です。

 

御朱印

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霊明殿とは歴代天皇皇后の尊牌(位牌)を安置している建物です。昭和天皇の御尊牌もあります。

 

泉涌寺は現在でも皇室にとってとても大切なお寺ですので、みなさんもぜひ参拝なさってください。

白い象のお寺 〜養源院〜

京都七条にある養源院を参拝しました。

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場所

三十三間堂の東隣にあります。入口は蓮華王院南大門のすぐ近くです。

 

養源院の最大の見所は、俵屋宗達が描いた杉戸絵と襖絵です。

俵屋宗達は「国宝 風神雷神図屏風」で有名な画家です。

 

杉戸絵

お堂の入口を入り、上がり框を上がると目の前に杉戸があります。

二枚一組の引き戸で、左右に一頭づつ唐獅子が描かれています。

 

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▲右側の唐獅子  (お寺のポストカードより)

 

向かって左側は逆立ちをしている獅子が、右側は、逆立ち獅子を見ながらいまにも飛び上がろうとしている獅子の姿が描かれています。

 

唐獅子の杉戸を開けると、廊下のいちばん奥に白い象が現れます。

 

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▲杉戸絵 左の象

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▲杉戸絵 右の象 (共にお寺のポストカードより)

 

グラフィカルでモダンな絵です。

左の象は頭を下げて客をお出迎え、右の象がお見送りしているように見えます。

 

振り返ると唐獅子の杉戸の裏側には、麒麟の絵が描かれています。

 

どの動物も大胆なタッチですが、可愛いらしい感じです。

 

襖絵

本堂には松の襖絵があります。

岩場に生えるうねる松が迫力がありました。

 

 

血天井

廊下の天井には、伏見城血天井があります。

関ヶ原の合戦の直前に、石田三成が率いる4万の軍勢が、鳥居元忠を筆頭にした約2千の徳川方の兵がいる伏見城に攻め入る「伏見城の戦い」がありました。

 

圧倒的な兵力の違いにより敗れた、鳥居元忠ら380余名は、城の中で自刃しました。

遺体は関ヶ原の戦のあともしばらく放置されたため、大量の血と脂が床板にこびりついたそうです。

 

家康は彼らの供養として、その床板を外し「決して床に使ってはならぬ」と命じ、養源院などの京都のいくつかのお寺の天井板として使われることになったのです。

 

このお寺では、説明員の方が堂内を丁寧に解説をしてくださるので、とてもためになりました。

みなさんにもオススメです。

 

御朱印

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書置きの御朱印でした。

日付だけその場で書いていただきました。

 

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おまけのグルメ

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この日は暑かったので、養源院から徒歩5分ほどにある「清水一芳園」で宇治抹茶のカキ氷を食べました。

上に乗っているのは抹茶のエスプーマです。

茶の味が濃くてとても美味しかったです。

 

 

女性におススメ!癒しのパワースポット 〜糺の森、河合神社〜

糺の森(ただすのもり)

下鴨神社の南側に広がるのが「糺の森」です。

東京ドーム3個分の広さがあります。

古代から大切に保護されており、今でも紀元前3世紀頃と同じ植生が残っているそうです。

 

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▲森の真ん中が下鴨神社の参道です

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▲振り返ると鳥居です

 

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▲森には四本の小川が流れているそうです

 

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森の中をゆっくり歩くととても癒されます。

都会の中に紀元前の森が残っているなんて、奇跡です!

 

 

河合神社

糺の森の中に河合神社があります。

 

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下鴨神社の摂社として古くより祀られ、女性守護としての信仰を集めるお社です。

ご祭神は神武天皇の母、玉依姫命(たまよりひめのみこと)をお祀りし、玉依姫命は玉の様に美しい事から、「日本第一美麗の神」としての信仰も集めています。

 

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美麗の願いを「鏡絵馬」に込めて奉納することができます。

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▲手鏡を模した鏡絵馬

 

顔のイラストに自分のメイク道具や色鉛筆などでメイクし、赤い裏面に美麗の願いを書いて奉納します。

絵馬用のお化粧室があり、みなさんそこで楽しくメイクしていました。

 

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▲奉納された絵馬

 

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御朱印

 

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売店兼休息所 「カリン美人水」(350円)を飲むことができます

 

鏡絵馬を奉納した後、「美しい女性であるために」と書かれたしおりも頂けるそうです。

しおりには明治天皇皇后(昭憲皇太后)の「鏡」という歌が書かれています。

 

 『朝ごとに向かう鏡のくもりなく

   あらまほしきは心なりけり』

 

「毎朝向かう鏡に一点の曇りもないごとく、美しい心を持つことを心がければ、その美しさは自ずと外面へも表れるでしょう。」という意味だそうです。

 

下鴨神社を参拝すれば、身も心も美しくなるのではないでしょうか。

女性におススメ!京都癒しのパワースポット 〜下鴨神社〜

今回は、女性に大変人気があり、京都イチの癒しパワースポットの(個人的見解です)下鴨神社へ行って来ました。

 

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▲楼門(重要文化財

 

 

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)

下鴨神社の正式名称です。

鴨川の下流にまつられているお社なので「下鴨さん」とか「下鴨神社」とよばれています。

 

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▲鳥居

 

 

御祭神

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)西殿
玉依媛命(たまよりひめのみこと)東殿

 

賀茂建角身命は、古代の京都をひらいた神さまです。京都の守護神としてまつられています。

ご利益は、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除、勝利の神、学業成就、交通、旅行、操業の安全など、多方面にわたります。

 

玉依姫命は日本の初代天皇である神武天皇の母親となる神さまです。

縁結び、安産、水の神としてご利益があります。

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▲本殿手前の門

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▲門をくぐると目隠し?の壁があります

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▲本殿

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▲本殿の前には干支の守護神として、言社(ことしゃ)があります

 

 

井上社(いのうえしゃ)

本殿の東側に、みたらし川と呼ばれる小さな川が流れています。

川は池につながり、そのそば井上社があります。

井戸の上にあるので、その名前がつきました。

別名は御手洗社(みたらししゃ)です。

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▲みたらし川

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▲井上社とみたらし池

 

井上社のそばに売店があり、そこで「水みくじ」をひけます。

何も書いていないおみくじを選んで、みたらし池に浮かべると文字が浮きあがります。

 

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相生社(あいおいのやしろ)

相生社は、縁結びの御霊験あらたかな社として、古代から格別の信仰を集めています。

古事記にも記述があるそうです。楼門の手前に鎮座します。

 

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御祭神は「産霊神」(むすひのかみ)です。

このお社の左側に「連理の賢木(れんりのさかき)」が祀られています。

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▲連理の賢木

映像ではわかりにくいですが、2本の木が途中で1本に結ばれ、その根元に、子供の木が芽ばえています。

現在のご神木は4代目となり、代を次いで境内「糺の森」に生まれているそうです。

とても不思議ですね。

 

 

媛守(ひめもり)

相生社のそばにある売店には「媛守」と呼ばれる、女性専用の可愛いお守りが販売されていました。

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御朱印

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5冊目の御朱印帳をこちらで購入しました。

葵と菊の文様に趣きがあります。

 

まだまだ記事はありますが、長くなるのでつづきは次回のブログにします。

 

 

上野恩賜公園で寺社仏閣巡り ー上野東照宮ー

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上野大仏の参拝ののち、上野東照宮に参拝しました。

大仏から歩いて5分くらいです。

 

 

歴史

1627年(寛永4年)に創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。

1646年(正保3年)には朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。

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▲大石鳥居(重要文化財

 

 

御祭神

東照宮とは徳川家康東照大権現)を神様としてお祀りする神社です。

日光や久能山の他、全国に数多くあります。

こちらの東照宮は、徳川吉宗徳川慶喜も祀られています。

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▲門

 

 

御利益

出世、勝利、健康長寿に特に御利益があるとされ信仰されています。

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▲唐門(重要文化財

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狛犬

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▲銅灯籠(重要文化財)諸大名から奉納されました。

 

 

公園と寛永寺について

上野恩賜公園は、寛永寺の広大な土地の中に作られた公園です。

寛永寺は、寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、建立されました。

将軍家の菩提寺となり、江戸時代には格式と規模において日本随一の大寺院となりました。

天台宗の別格大本山で、正式名は東叡山寛永寺です。

 

しかし、幕末の上野戦争で多くの建物が焼失し、明治になって公園に生まれ変わりました。

 

大仏と東照宮も元は寛永寺の施設なのです。

 

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御朱印