京阪電車でGO! 仏像巡りの旅 最終回
いよいよこの企画も最終回の終点宇治駅に到着です。
京阪宇治駅の目の前にある宇治橋を渡り、約10分で平等院に着きます。宇治橋は日本最古の橋のひとつです。橋の上から見る宇治川の眺めはいつも爽やかです。
橋を渡り左に曲がると参道です。両脇には宇治茶を販売するお店がたくさん並んでいます。わたしは抹茶ソフトかスイーツを必ず食べます。3分ほどで平等院の入口です。
平等院仏像鑑賞ポイント
平等院の仏像を鑑賞するポイントは3つです。
- 鳳凰堂を堪能せよ
- 内部拝観は最後まで粘れ
- 鳳翔館で細部を見よ
鳳凰堂を堪能せよ
▲国宝 平等院鳳凰堂
お目当は阿弥陀仏なので、入場したら最初に鳳凰堂内部拝観のチケット(¥300)を買います。拝観時間まで時間があるので、池の周りを散策しながら鳳凰堂をたっぷり堪能しましょう。池越しに見る鳳凰堂の眺めはとても美しく、いにしえの日本人が想像していた極楽浄土です。死んだつもりで鑑賞しましょう(笑)
平成の大修理のおかげで建物の朱色が鮮やかになり、屋根の鳳凰も金ピカで創建当時の姿に戻っています。
▲鳳凰 レプリカです。オリジナルは鳳翔館に展示されています。
初夏には藤の花が綺麗です。秋には紅葉も楽しめます。
内部拝観は最後まで粘れ
内部拝観の5分ほど前に受付場所に戻ります。諸注意を聞いて、池に掛かる橋を渡り鳳凰堂内部に入ります。
案内嬢が鳳凰堂や阿弥陀如来について解説してくれます。解説が終わると自由見学ですが、お堂の中は広くないので10分ほどするとみなさん帰り始めます。ここで、最後まで粘ります!するとお堂には案内嬢と2人きりです。その後は…
ではなく、阿弥陀様をほぼ独り占めできるのです。お堂の壁面には雲中供養菩薩もいますよ。周りは全て国宝です。世界遺産でもあります。こんな贅沢なことがあるでしょうか。雲中供養菩薩の奏でる音楽を想像しながら、静かに阿弥陀様と対峙します。そして、お迎えのときを夢想しましょう。ほとんど臨死体験です(笑)
鳳翔館で細部を観よ
鳳凰堂であの世へ行ったあと、貴重な宝物が展示されている鳳翔館へ向かいます。
仏像マニアとしては雲中供養菩薩の展示室へ一直線です。鳳凰堂の壁面には本来は52躯の菩薩がありますが、現在半分の26躯が鳳翔館に展示されています。お堂では高いところに飾られているので、細かい部分が分かりませんが、鳳翔館ではガラス越しに間近で鑑賞することができます。
▲国宝 雲中供養菩薩 南20号
華麗な舞です。
▲南24号
口元を見ると歌っています。
▲北25号
イケメンだと思います。
▲南6号
▲南1号
色々な楽器を演奏しています。約千年前の像ですが、豊富な種類に驚きです。全てポストカードから引用。
像高は30cmほどですが、生き生きとした動きと細かい細工が素晴らしいですよ。家に持って帰りたいです。
売店には雲中供養菩薩のトランプが販売されています。
▲出典 平等院HP
▲御朱印 鳳凰堂の文字と鳳凰のイラスト入りの朱色ですね。
これで、京阪電車でGOシリーズも無事終了です。また、新しい企画を楽しみにしてください。
口から飛び出る阿弥陀仏 六波羅蜜寺の空也上人像
▲重文 本堂
六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)
真言宗智山派、西国三十三所 第十七番のお寺です。天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創されました。上人はつねに市民の中にあって伝道に励んだので、人々から「市の聖(いちのひじり)」と呼ばれていました。
また、平安時代に念仏を始めて「念仏の祖」と言われています。
空也上人立像
運慶の四男康勝の作です。胸に金鼓(こんく)を、右手に撞木(しゅもく)を、左手に鹿の角の杖をつき、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承を表現しています。六体で「南無阿弥陀仏」の六文字です。
初めて見たときは口から何か出てる( ゚д゚)⁈と驚きました。見た目のインパクトがすごいです。しかし、それ以上にリアリティのある造形に感銘を受けます。今にも動き出しそうです。
宝物館に安置されています。宝物館には空也上人以外にたくさんの仏像が安置されているので必見です。主なものを紹介します。
一門の武運長久を祈願し、朱の中へ血を点じて写経した頃の太政大臣浄海入道清盛公の像です。経典は厳島神社へ奉納しています。
▲重文 運慶坐像 出典 講談社「日本の仏像」
大仏師運慶の像です。
▲重文 湛慶坐像 出典 講談社「日本の仏像」
湛慶は運慶の長子です。彼も素晴らしい仏師です。代表作は三十三間堂の千手観音像などがあります。
運慶作の地蔵菩薩です。
本堂には国宝の十一面観音立像が安置されていますが、12年に一度辰年に公開される秘仏なので、今回拝観することはかないませんでした。
七福神 弁財天
六波羅蜜寺は都七福神めぐりの弁財天もあります。お正月の時期に新春巡拝があり、各社寺にて御軸・大護符(色紙)・御宝印帖が用意されています。私が参拝したときも多くの方が色紙に御朱印をいただいていました。
詳しくはこちらのHPをご覧ください。
▲御朱印 弁財天をいただきました。
▲十一面観音像と本堂
京都で初詣 金戒光明寺編
お正月、約3カ月ぶりに京都へ行ったのでその報告です。京阪電車でGO!シリーズで紹介した金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)を訪れました。参拝するのは初めてです。
浄土宗総本山・くろ谷 金戒光明寺
▲御影堂
浄土宗最初のお寺。開祖法然上人(ほうねんじょうにん)が草庵を結んだ地に建てられました。境内には18の塔頭寺院があるとても大きなお寺です。
幕末には京都守護職会津藩の本陣があったことで有名です。新選組はここで生まれました。
大河ドラマ「八重の桜」の会津藩主松平容保(かたもり)役の綾野剛は良かったですよね。
地元の方は"くろ谷さん"と呼んでいるそうです。
▲京都守護職本陣看板
文殊菩薩(渡海文殊形式)
御影堂に安置されています。三重塔にあったのを移したそうです。元は近くにあった中山宝幢寺(ほうどうじ)の本尊です。応仁の乱の兵火により廃寺となりこちらに移されました。なので中山文殊と呼ばれています。
貞享三年(1686)刊の『雍州府誌』には「本朝三文殊の一つなり」とあり、奈良の「安倍の文殊」天橋立の「切戸の文殊」と共に信仰を集めていました。
三大文殊には諸説あり、安倍文殊、切戸文殊は固定ですが、第三の文殊は中山の他に山形の亀岡文殊があります。
渡海文殊形式とは、獅子騎乗の文殊菩薩が眷属(けんぞく)として善財童子・優填王(うでんおう)・仏陀波利(ぶつだはり)・最勝老人を従え、海を渡って五台山に向かう姿を表す仏像です。なお、五台山は中国の山西省に実在し、文殊菩薩の聖地です。世界遺産に登録されています。
寺伝では運慶作となっていますが、間近で拝んだ印象と重文指定もないことから、おそらく違うと思います。慶派仏師の作品なのは間違いないと思いますが。
▲三重塔
▲御朱印 「中山文殊」
五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏像
通称アフロ仏と呼ばれる、珍しい仏様です。ファンキー髪型とは掛け離れた幼子のような可愛いお顔をしています。伽藍から高台にある三重塔へ向かう階段の脇に佇んでおられます。うっかりすると通り過ぎてしまうので気をつけましょう。
お寺のHPにわかりやすい説明があったので、引用します。
五劫思惟(ごこうしゆい)の阿弥陀仏は、通常の阿弥陀仏と違い頭髪(螺髪(らほつ))がかぶさるような非常に大きな髪型が特徴です。
「無量寿経」によりますと、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと五劫の間ただひたすら思惟をこらし四十八願をたて、修行をされ阿弥陀仏となられたとあり、五劫思惟された時のお姿をあらわしたものです。
五劫とは時の長さで一劫が五つということです。一劫とは「四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことで、五劫はさらにその5倍ということになります。そのような気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子を表したのが五劫思惟阿弥陀仏で、全国でも16体ほどしかみられないという珍しいお姿です。
落語の「寿限無寿限無、五劫のすり切れ」はここからきています。
有名なのは東大寺 勧進所 阿弥陀堂の像と奈良 五劫院の像です
あー奈良にしばらく行っていないので、暖かくなったら行きたいなぁ。
▲山門
▲阿弥陀堂
2017年は快慶展と運慶展が超おすすめです❗️
今春、奈良国立博物館で慶派の大仏師快慶の展覧会が開催されます。運慶と並び慶派をリードした快慶の作品が一堂に展示されます。仏像ファン必見の展覧会ですが、そうでない方、このブログを見てくださった方はぜひ奈良まで足を運んでご覧ください。
特別展「快慶」
2017年4月8日(土)〜6月4日(日)
更に、秋には東京国立博物館で運慶の展覧会も開催です。ポスターだけでもテンションMAXです(//∇//)
父 康慶や息子 湛慶(たんけい)の作品も展示されるようです。親子3代の作品を見比べるのもまた格別だと思います。
運慶 -興福寺中金堂再建記念特別展-
2017年9月26日(火)~11月26日(日)
東京国立博物館 平成館(上野公園)
京坂電車でGO! 仏像巡りの旅その6
このシリーズも6回目になります。
伝えたいことがたくさんあり大変ですが、終点の宇治駅まで頑張ります。
京坂黄檗駅(おうばくえき)
今回はこちらで途中下車します。
黄檗宗 大本山 萬福寺(まんぷくじ)
▲大雄宝殿(だいおうほうでん)
【アクセス】
京阪黄檗駅から徒歩5分
萬福寺は1661年に中国僧 隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師 によって開創された新しいお寺です。
禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省の黄檗山萬福寺の住職でした。1654年63歳で来日しました。
幕府の政策等により、宗派を黄檗宗と改宗。日本でいう「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。
すべてが明朝様式
このお寺の最大の魅力は、すべてが中国の明朝様式であることです。建物、仏像、伽藍すべてが中国様式なので物珍しくワクワクします。
▲総門
▲ 香炉
長〜いお線香を焚きます。
▲開版(かいぱん)
時を知らせる法具。木魚の原形となっているものです。
▲このように時を知らせます。
明朝様式の仏像
明の仏師 范道生(はんどうせい)制作の仏像は本物の明朝様式です。
▲弥勒菩薩(布袋)坐像
▲韋駄天立像
▲多聞天立像
▲十八羅漢像の一部
▲羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)坐像
お腹から仏の顔がのぞいている姿は、すべての人に仏性、すなわち仏になれる可能性が具わっていることを表現しています。
このお寺は撮影自由な場所が多く、仏像はすべて撮影できました。
普茶料理という中国式精進料理が食べられるので、時間のある方はぜひどうぞ。(私は食べていませんが^^;)
次回はいよいよ終点の宇治駅です。
アニメよりふつーに時代劇が好き♪
今回は寺社仏閣を離れ、大好きな時代劇の傑作を紹介します。
先日wowowで放送され、久しぶりに観て改めてその素晴らしさに感動したので、それを誰かに伝えたくてスマホを取りました。
上意討ち 拝領妻始末
1967年東宝作品。監督小林正樹。出演 三船敏郎、仲代達也、司葉子、加藤剛。
まず、題名にインパクトがあります。時代劇ファンとしてはワクワクする題名です。
「上意討ち」主君の命により罪人等を討つこと。
「拝領」貴人からものをいただくこと。
「始末」物事の初めから終わりまで(の事情)。
あらすじ
会津松平藩馬廻りの三百石藩士・笹原伊三郎(三船敏郎)の家に側用人(そばようにん)高橋外記(たかはしげき)(神山 繁)が訪れます。側用人は藩主の側近です。
藩主の側室いちの方(司 葉子)がお暇をだされたので、笹原家嫡男・与五郎(加藤 剛)の妻として拝領せよとの命です。後で聞いた噂だと、いちは殿様の顔を平手打ちにしたらしいです。
武芸一筋に生きてきた伊三郎は、笹原家に婿養子として入った身で、妻すがの前で忍耐を重ねて暮してきました。それ故、与五郎には幸福な結婚を願っていたため、この話には反対でした。しかし、側用人から上意(主君の命)と念押しされ渋々承知します。
しかし、予想に反しいちは穏やかで気立てが良く、姑の嫌味にも嫌な顔をせず家のことを切り盛りします。与五郎と伊三郎は理想の嫁だととても喜びます。
幸せな日々が1年間半ほど続き、夫婦の間には女の子とみが生まれます。このまま幸せが続くかと思えたある日、藩で重大事が発生します。殿様の世継ぎが病死してしまったのです。
城中は慌てましたが、いちが生んだ男の子がいます。藩はその子を世継ぎに据えますが、世継ぎの生母が家臣の妻では外聞が悪いと、いちを奥へ返上せよと命令が下されます。
そこで、笹原親子がとった行動は…
「たとえ火の雨が降ろうとも」
江戸時代、上意は絶対です。それに逆らえば、お家断絶や切腹になることも。それでも夫婦は、添い遂げたいと上意を固辞します。伊三郎も彼らの真実の愛に心打たれ、味方になります。
そして、与五郎は説得に来た側用人に「たとえ火の雨が降ろうとも応じられぬ」と言い放ちます。
「人生の中で(今が)一番生きている気がする」
それからしばらく、城から音沙汰がなくこのまま沙汰止みかと思われたとき、身内の裏切りで、いちが城に拉致されてしまいます。
怒った笹原親子は、いちを返せ。さもなくば、事の顛末を江戸の幕府へ訴えると書状にしたため、藩と全面対決します。
笹原家に婿入りして以来、悪妻の嫌味に耐えながら肩身の狭い思いで生きてきた伊三郎。藩と親戚たちの不条理な対応に、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまいます。しかし、腹を括った途端伊三郎は、「人生の中で一番生きている気がする」と息子に語ります。
しかし、多勢に無勢。最後は親子3人討たれてしまいます。
殺陣もたっぷり
物語は夫婦愛、家族愛がテーマですが、後半には殺陣もたっぷりあります。
上意討ち部隊と笹原親子の戦い。屋敷に立て籠もるための準備がリアルです。最後は親友であり剣のライバルである浅野帯刀(仲代達矢)との一騎打ちです。浅野は関所を守る役人のため、関所破り討たねばなりません。最後は見応えのある戦いで終わります。
三船と仲代との一騎打ちといえば、映画「椿三十郎」を思い出します。個人的に映画史上最高の戦いだと思っています。こちらも、是非観て欲しい時代劇です。
ジブリアニメや君の名は。も良い作品ですが、スター・ウォーズがとても影響を受けた時代劇を今こそ見直して欲しいです。
京阪電車でGO!仏像巡りの旅その5
出典 【公式サイト】国宝 醍醐寺のすべて展
六地蔵駅
今回は六地蔵駅で途中下車します。
ここでは、醍醐寺と法界寺を紹介します。
醍醐寺
豊臣秀吉の「醍醐の花見」でも有名です。
【アクセス】
京阪六地蔵駅から地下鉄東西線に乗換、「醍醐駅」下車 徒歩約15分
京阪六地蔵駅からバス2番乗り場(22,22A系統乗車)、醍醐寺前下車、約15分
国宝 五重塔、三宝院、醍醐の桜など見どころをたくさん紹介したいのですが、仏像を中心にご紹介します。
国宝 薬師如来及び両脇侍像
出典 【公式サイト】国宝 醍醐寺のすべて展
上醍醐にある薬師堂の本尊ですが、現在は文化財保護のため下醍醐の霊宝館に安置されています。
顔が大きくふっくらとして、体躯もガッチリした仏像です。とても親しみを感じます。
薬師如来の両脇を固めるのは日光菩薩、月光菩薩です。こちらはほっそりとして、宝冠などの装飾も丁寧に作られています。
3人集まると、薬師三尊と呼ばれます。
重文 弥勒菩薩坐像
出典 『公式サイト】国宝 醍醐寺のすべて
大仏師快慶の作品です。
端正な顔立ちと豪華な装飾。滑らかな衣文(えもん)の波立ちは見事です。
私の大好きな仏像のひとつです。
弥勒菩薩は釈迦入滅から五十六億七千万年後に如来となり、衆生(しゅじょう)を救うといわれる未来仏です。
日野薬師 法界寺
真言宗醍醐派別格本山。このお寺は、藤原氏の北家にあたる日野家の菩提寺で、1051年(永承6)建立されました。
日野一族である浄土真宗開祖の親鸞聖人が産まれた場所として有名です。
名前から分かるように本尊は薬師如来ですが、見所は国宝の阿弥陀如来坐像と国宝の阿弥陀堂です。
【アクセス】
京坂六地蔵駅から京坂バス8系統日野誕生院行日野薬師下車徒歩1分
国宝 阿弥陀如来坐像
出典 講談社「日本の仏像」
阿弥陀如来は丈六(じょうろく※1)の仏像で、宇治平等院の阿弥陀如来坐像とそっくりな定朝様(じょうちょうよう※2)です。
※1丈六像とは立像のたけが、一丈六尺=約五メートルある仏像。座像ではその半分の高さ
※2平安時代の大仏師定朝が作った仏像に似た作風のこと
平等院よりお顔がふっくらとして、可愛いらしい感じがします。
▲国宝 阿弥陀堂
藤原時代に起こった浄土教の流行や、末法思想等の影響で各地に建てられた典型的な阿弥陀堂建築の一つです。五間五面の檜皮葺(ひわだぶき)宝形造で、周囲一間の廂(ひさし)を付し、屋根には宝珠があります。
檜皮葺は屋根全体が焦茶色で、落ち着きと趣きがあり個人的に好きな建築手法です。
法界寺で参拝させていただいた時のブログもあるので、こちらもご覧ください。
次回は、黄檗駅(おうばくえき)で途中下車します。